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巡り巡って彼女が辿り着いた場所 / 石井梨乃

この街で生きていく

利便性が良く、公共施設が充実していて、生活に関連したサービスが過不足なく供給されている。
住環境が優れているこの街に引っ越してきて「居心地が良い」と話し、長期間居住している人は多い。

一方で、この街で育った子供が様々な選択肢がある進学や就職のタイミングで、『この街で生きていく』と能動的に選択し地域に留まることはあまり多くはない。

この記事は、能動的に『この街で生きていく』と決めた石井梨乃さんの活動を定期的に取材する連載の第一回目となる。

彼女はこの地で何を感じ、どのような一歩を踏み出していくのだろうか。
その日々を追った。

石井 梨乃 (いしい りの)



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1997年生 埼玉県さいたま市出身
浦和第一女子高校、千葉大学園芸学部卒業。幼い頃から植物が大好きで大学卒業後は兵庫県のハーブ会社に勤務。2021年、さいたま市にUターンし、明石農園とこばと農園で農業研修を始める。2023年4月より1年間、埼玉県農業大学校有機農業専攻に通う。大学校卒業後はさいたま市で新規就農予定。農園の屋号は「け八き農園」。

「このオクラはダビデの星と言って、切り口が星形で美しいんです」と育てている野菜について説明をしてくれる梨乃さん。
現在は新規就農を目指し農業大学校に通いながら、畑を借りて自身で野菜を作っている。

その表情はとてもイキイキと見えて、オンラインインタビュー中の丁寧にハキハキと質問に答える姿とはまた違う一面だった。

「自然豊かな場所で自然と調和しながら暮らしたい」と、大学から社会人にかけてさまざまな地域を訪れ、さまざまな選択肢を模索した。
そんな彼女が「この街で暮らしていきたい」と、5歳から22歳までの青春期を過ごした浦和に帰ってきたのは2021年のこと。

「久しぶりに見沼田んぼの地を踏んだ時、”帰ってきた”という感覚と、”ずっと探していた場所がここにある”と直感的に思ったんです」

巡り巡って、ずっと探していた場所に辿り着いた。

なぜ彼女はこの街で暮らしたいと思ったのだろうか。
彼女はこれまでにどのような人生を歩んできたのだろうか。

今回は彼女の半生を振り返る。

茨城県に生まれ、幼少期は父親の仕事の影響でさまざまな地域を転々とした。
浦和に引っ越してきたのは5歳の時。
父親の新宿への転勤が決定したタイミングで、
文教都市であること、交通の便がよく住環境が整っていることに魅力を感じ武蔵浦和駅近くに引っ越してきた。

「私自身ははっきりとは覚えていないのですが小さい頃、両親に『もう引っ越をしたくない!』って言ったらしいんですよね」
ご両親にも子供たちが根無し草にはなって欲しくないという思いがあった。浦和の環境を気に入ったこともあり、引っ越しをしてから約一年後、浦和駅近くに住居を構えた。

幼少期から植物が大好きで、自然豊かな場所にある母親の祖父母の畑で過ごす時間が何よりも楽しかったという。
浦和に引っ越してきてからはガールスカウトに所属し、見沼田んぼを始めとした地域の自然の中でめいっぱい遊び地域の自然が身近にある生活を経験。
漠然と「将来は自然豊かなところで暮らしたい」という想いを抱くようになったのはこの頃からだった。

小学校を卒業後、白幡中学校に進学。
浦和付近では中学受験をする子供も多い中、市立の学校を選んだのは「地元の友達を作って欲しい」という両親の想いからだった。

「部活に学校行事、勉強にと全力投球でした」と話すように、学校生活を全力で楽しむ日々。
この中学校での経験が梨乃さんに大きな影響を与える事になる。

梨乃さんの学年では学年主任の先生の方針で、社会に出た時に役立つ力を身につける授業や取り組みが積極的に行われた。

「先生が一方的に授業を行うのではなく、生徒が積極的に自分の意見を発言できる授業があったり、学年行事の内容を生徒が主体となってゼロから考えていましたね。私たちが三年生の時には、一年生のテスト勉強をサポートする『チューター制度』がありました。他の代と比べると荒れている代と言われていましたが、その余りあるエネルギーを上手く学校生活に転換させてくれたように思います」

学年主任の先生はイギリスの日本人学校で教鞭をとっていた経験がある。
そこで見た、様々な草花が調和してひとつの美しい庭を創る『イングリッシュガーデン』に感銘を受けたという。
その経験から着想を得て、さまざまな生徒が個性を発揮しながら調和して欲しいと、学年目標に「GARDEN」を掲げていた。

「所属していたソフトテニス部の先生には礼儀の大切さを教わりました。他の先生含め、本当に素晴らしい方ばかりで何人もの人生の恩師と呼べる方に出会えた学校生活でしたね。驚いたのは、私以上に母が先生方と仲良くなっていて(笑)時々、先生方が家にご飯を食べに来ることもあるんですよ」

母親の孝枝(ゆきえ)さんは明るい性格で誰とでも仲良くなれる人。
ご両親ともに「人を家に招く」のが好きで、幼少期から2人の旧友を中心にさまざまな大人と食卓を囲んだという。

「四つ下の妹と一緒に、さまざまな大人の方に話を聞かせてもらっていましたね。みなさん子供扱いせず、対等な立場で話をしてくれていたのがすごく印象に残っています。」

恩師と言える先生に出会った中学校生活、さまざまな大人と触れ合う家庭環境が彼女の地域への愛着を高めた。

実家ではホームステイの受け入れをしており、海外の子供達と交流する機会も多かったという。
自然と海外に対して強い関心を持つようになり、「浦和第一女子高等学校」に進学後の2年生の夏にはカナダへの短期留学を経験。

さまざまな国の人や文化に触れる刺激的で充実した日々を過ごしていたが、
彼女にとって何よりも印象的だったのは休みの日にふと訪れた中心街の景色だったという。

「大型商業施設にナショナルチェーン店が並んでいて、日本と何ら変わり映えしない風景でした。街が発展し便利になることと比例するように、そこにあるものが画一化していってしまうのだなと感じました」

帰国後、しばらくして進路を決定する時期に差し掛かった時に留学時の出来事と中学時代に出会った『イングリッシュガーデン』の考えが強烈に蘇ってきた。

「今振り返るとまだまだ曖昧でしたが将来的に、そこにいる人の個性が際立つような場所を作りたいと思いました」

大学では大好きな植物について学びたいと、公募推薦を利用して千葉大学の園芸学科を受験。試験の課題となった論文で将来自分が作りたい『GARDEN』のビジョンを書いた。

曖昧に描いた将来のビジョンを明確にしたい、もっと様々な可能性を探求したいと大学時代はとにかく行動を重ねた。

学業では園芸植物の生産に関わる先端的栽培技術を学習。
サイクリング部に所属し、全国を回りながら住みたいと思える自然豊かな場所を探した。
地方創生の学生団体に参加し、地域で働くとは何かを模索。

そんな彼女にとって大学3年生の時に参加した『島おこしインターンシップ』が大きな転機となる。

「五島列島に行き、ご夫婦で経営されている塩屋さんで働きながら地域に携わりました。ご夫婦は自然に寄り添った半自給自足のような生活をされている方々で、私からはお二人が理想とする世界を実現しているように見えたんですよね。私自身、将来がまだまだ曖昧で迷っていた時期である時、奥さんにそのことについて相談してみたんです。すると『好きな暮らしをして、それを人に見せていけばいい』と言っていただいて」

ご夫婦はまさに、その言葉を体現していたという。

「食事や生活に無頓着だったパートさんの意識が働くうちに徐々に変化していくことを目の当たりにしたんです。能動的に生活を変えていきたいと、ご夫婦にアドバイスを求めるようになって。私の描く『GARDEN』のビジョンは壮大で、何からやっていけばいいのか明確にならず焦りを感じていたのですが、自分の信じることを小さいところから着実にやっていけば、おのずと波及していくのかなと感じました」

モヤが晴れ、吹っ切れた彼女はまず自分の好きなことを深める道に進む。

大学を卒業後、「植物で全ての人を幸せに」という理念に共感し、兵庫の姫路にあるハーブを扱う会社に就職。
ハーブや野草のワークショップ講師や、食養生のレストラン業務などさまざまな経験を積み、植物への知識をさらに深める日々。
職場は山奥にあり小さい頃に夢見た『自然豊かな場所』だった。

就職は梨乃さんにとって初めて浦和から離れた場所に暮らす機会でもあった。

「久しぶりに浦和に帰省した時に改めて、気心知れた人がたくさんいて、住環境が整っていて、程よく自然もある浦和の良さに気づけたんですよ」
離れたからこそ気づけたことが、彼女の街への愛着をさらに高めていった。

恵まれた仕事・夢見た住環境。

葛藤もあったが、帰省するたびに想いは募り2021年7月、浦和に戻ることを決意した。

浦和に戻ってからまず取り組んだのは農業研修だった。

「前職の会社で働いていたパートの方が立派な野菜を作っていて。私は園芸学科を卒業したのに、知識があるだけで実際には野菜を作れないことに違和感を感じたんです」

「好きな植物の知識を深めるだけでなく、自分の手で作れるようになりたい」と思い立ち、まず市の農政課に。
紹介してもらった「こばと農園」で研修をさせてもらえることになり、久しぶりに見沼田んぼを訪れた。そこであることを感じたという。

「見沼田んぼの地を踏んだ時、”帰ってきた”という感覚に包まれました。同時に”ずっと探していた場所がここにある”と直感的に思ったんです」

畑での作業は何よりも充実しているという。

「畑で花や野菜といった植物が育つサポートをしながら、日々の変化を感じることがとにかく楽しいんです。植物が好きなことを改めて実感しています」

約1年間、「こばと農園」と埼玉県三芳町の「明石農園」で農業研修を経験し、途中から畑を借りて自身でも作物を育てるように。
本格的に新規就農をすることを考え、2023年4月から農業大学校に通い始めた。

プライベートでは2022年10月に大学4年生の頃からお付き合いしていた方との結婚。現在は旦那さんの住んでいる千葉と埼玉の二拠点生活をしている。

農業大学校を卒業したら、さいたま市で新規就農して旦那さんと千葉から浦和に移り住む。それから少しずつ想い描いた『GARDEN』を形にしていけたら…。

そんな未来を思い描いていたが、現在は新規就農をする前に少し寄り道をしたいと考えている。

「来年の4月からイギリスの大学院に行きたいなと思っているんです。自然と経済が調和することを前提とした経済を学べる半年のプログラムを受講したいと思って、今は試験勉強中なんです」

この街での将来ビジョンを描きながら、常に視野は幅広く。
人一倍行動して様々な場所に行き、様々な人に会ってきた彼女らしい決断だと思った。