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地域のポテンシャル  /  北浦和駅 西口エリア

北浦和

「ベッドタウン」と聞いて皆さんは何をイメージしますか?

駅前を中心に生活に必要な施設が集積し、少し離れると住宅が密集しているエリアが続いている。
そんなイメージを持っている方も多いのではないでしょうか。

どうしても画一的な印象を持たれやすい「ベッドタウン」。
しかし実際は、地域ごとに区切ってミクロな視点で観察していくと独自のポテンシャルを発見することができるんです。
そんな地域のポテンシャルに注目し、分析をする活動を行っている『らしく㈱』の堀さん。

まちづくり支援の『らしく㈱』と税理士、2つの本業を営みつつ、そのうち『らしく㈱』ではまちのお財布事情を可視化し実態に合ったまちづくりを増やすため地域の経済を分析する「みんなのまち財®」という取り組みをされています。

2023年7月からは『(公財)さいたま市産業創造財団』の補助事業として採択されたことをきっかけに、より簡単に地域経済分析をするための新システム開発に取り組んでいるとのこと。

そんな堀さんが、少し前からゼロベースで地域経済分析を進めているのが「北浦和駅 西口エリア」。

堀さん自身でフィールドワークや各方面へのインタビュー、歴史資料や公的資料の解析を重ね、この地域のポテンシャルを分析・発見してきました。

今回はなぜ「北浦和駅西口エリア」に注目し、どのようなポテンシャルを発見したのか、実際に堀さんと街を歩きながらお話を伺いました。

話を聞いた人
堀 哲郎さん



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1981年、長野県駒ヶ根市生まれ、神奈川県横浜市育ち、現在は浦和在住
2005年~お笑いで天下を取るために税理士資格を20代半ばで取得したが、肝心の才能がない事に気づき、諦めて税理士の世界へ
2010年~20代で税理士事務所を独立開業
2016年~故郷の駒ヶ根の地域衰退を見て、まちづくり事業支援を行う「らしく㈱」を創業
2021年~旧中山道・浦和にある古民家「青山茶舗」の改修に併せて2階にオフィス入居
2021年~地域経済循環の状況を実数値で見える化する「みんなのまち財」をサービス提供開始

商店街とイオンが共存する稀有なエリア

北浦和駅西口を出発し、個人店とチェーン店が混在して立ち並んでいる『ハッピロード』を抜けていきます。

国道17号を渡り『ふれあい通り』の入り口へ到着。
堀さんがまず注目したのはふれあい通りの先に見えるイオンでした。

「通常、イオンは駅前の好立地に店舗を構えることも多いのですが、北浦和駅西口エリアは『ハッピロード』や『ふれあい通り』といった商店街の先にイオンがあります。そのため駅から自宅に向かう人が商店街を通った後にイオンに向かう動線になっているんですよね」

イオンが駅前に店舗を構えるケースだと周辺住民の消費活動がイオンに集中し、周りの商店街が廃れてしまうケースは多くあります。
北浦和駅西口エリアは、駅とイオンの導線の間に商店街があることで、両者が共存するという稀有な関係性を築いているそう。

「地元住民さんへのインタビューでは、商店街の中にそれぞれの趣味嗜好によって数店舗、お気に入りのお店を持っている場合が多い傾向にありました。イオン内の店舗とは違った品揃えや値段設定のお店も多く、結果的に両者が共存することで住民の買い物満足度を高めているようです」

主に個人商店が立ち並ぶ『ふれあい通り』の正式名称は「北浦和西口銀座商店街振興組合」。

『ふれあい通り』は通称で、より親しみやすい商店街にしていきたいという想いから公募でつけられました。

『北浦和西口銀座商店街振興組合』が創設された正確な時期は不明ですが、1940年頃から国道17号寄りの区画を中心に個人商店が立ち並ぶように。
1960年から1970年代にかけてイオン寄りの区画でも店舗が立ち並び、1980年代に最盛期を迎えました。

利便性の良さや教育環境の高さから多くの人が移り住み、どんどんと賑わっていった商店街を中心に徐々に地域コミュニティが形成されていくように。
商店街の各所にあるモニュメントが設置されたのはこの時期で、補助金を活用し埼玉大学の教授に依頼して作成してもらったものだそう。

『ふれあい通り』の建物に統一感があるその理由

そんな最盛期を迎えていた1980年代でしたが、地域を揺るがすような出来事が起こります。

「繊維業を営んでいたローカル企業『埼玉工業株式会社』の工場の跡地に、『イオン』の前身である『ニチイ』が出店するという話が出てきて、当時は商店街や周辺住民から反対運動が起こったそうです」

当時は1974年に小規模小売店舗の保護を主目的にし、大規模小売店舗の営業に複数の制限を設けた「大規模小売店舗法」が制定された時期でした。

2000年にこの法律は「大規模小売店舗立地法」となる大改正が行われ、大規模小売店舗の営業の制限が大幅に緩和され、地方出店が促進されるように。

「法令上いつか規制が緩和され、遅かれ早かれ大規模小売店がこの地域にもできる事は明白でした。そこで方向転換をして話し合いの場を設け、開業は認める代わりにいくつかの条件提示をされたそうです。」

その一つが『ニチイ』のメインの入り口を北浦和駅西口側に設けることでした。その結果、現在のような駅とイオンの導線の途中に商店街があるという立地が出来上がることに。

当時の商店街や地域住民のみなさんが、地域の未来を見据えて交渉をされた結果、イオンと商店街が共存する現在の関係性が生まれたことが伺えます。

『ニチイ』に代わって2011年3月1日に『イオン』が開業した

商店街や地域住民のみなさんの偉大さ、結束力の強さを感じるエピソードはこれだけではありません。
次に堀さんが注目したのは『ふれあい通り』の建物の構造と高さでした。

「多くの建物は1階がテナント、2階以上が住居という構造で高さは4~5階以下です。1940年頃に建物が建てられたと考えると、何回か建て替えのタイミングがあったと思うんです。その時に商いを引退され事業の後継者がいないようであれば、不動産業者に土地を売却して、戸建住宅が増え、商店街全体が住宅化してしまう可能性もあったと思います。」

商店街内で特別な口合わせがあったわけではなく、『この商店街の中にいきなり戸建住宅があるなんておかしい』という共通認識が住宅化を防いだと考えられるそう。

「その結果、法令上は10階以上の建物を建築できるエリアにもかかわらず、建て替え時に土地を不動産業者に売却せず、新たに4~5階以下の小規模なビルやご自身も居住できるテナント付きのマンションを新築される方が多かったのかなと思います」

地域コミュニティ形成の一助となっている『北浦和公園』

「このエリアの地域コミュニティ形成・維持の一助を担ってるのは『ふれあい通り』だけではありません」と、話しながら堀さんが案内してくれたのは、『ふれあい通り』から徒歩3分程度のところにある『北浦和公園』でした。

埼玉大学の跡地に建設された『北浦和公園』の建設計画には著名な建築家や芸術家が参加。

3.9ヘクタールの広大な土地の中には豊かな自然、さまざまな遊具に加えて、オブジェ・噴水・美術館が建設され、埼玉大学の文化的価値を引き継ぐような場所となっています。

「犬を飼っている人や子供を遊ばせるママ友同士の交流の場になっていて、地域に関する情報を交換する貴重な機会にもなっているそうなんです」

たしかに、夕方の時間帯を中心に、子供を連れた方や犬の散歩をする方で賑わう公園内。
憩い・学びの場だけでなく、交流の場としても貴重な役割を果たしているようです。

密集した「社宅」の行く末が地域の未来を左右する

再びふれあい通りに戻り、イオン北浦和店の周辺に目を向けてみると住宅が密集エリアに。
「このあたりも実はとても興味深いんです」と話す堀さんが指をさした先には「国鉄」の文字が。

「現在は民営化された国鉄や郵政を始めとした公共企業や大手・準大手クラスの大企業、県職員用の社宅・社員寮が多く立ち並んでいるんですよね。ざっと確認できただけでも今現在でも20〜25棟くらいは見受けられるので、昔はもっと多かったと考えられます。」

1939年に新潟鐵工所の浦和工場が開設(現在の常盤中学校の場所)されたことをきっかけに、工場とその企業の社宅・社員寮が続々と周辺に建設されました。

高度経済成長とともに人口はどんどん増加し、工場が立ち並ぶエリアは郊外ベッドタウンに変貌をとげ、商店街を中心に街は賑わいで溢れていました。

「北浦和駅は1936年に開設されましたが、駅の西口が正式に開かれたのは1947年のようです。つまるところ北浦和の西口エリアは駅周辺ではなく、古くは工場、その後は社員寮・社宅を中心としたこのエリアからまちが形成され、時代に合わせたアップデートがされてきたのだと思います。」

しかし時代の流れもあり空室や老朽化が目立つ社宅・社員寮も増加。
建て替えのタイミングで建物は取り壊されて土地は売却され、その多くは新築のマンションとなっています。

堀さんはその傾向に対して警鐘を鳴らします。

「まさしく今が、北浦和西口エリアにとって大きな過渡期だと感じています。古き良き個人商店が比較的多く残りつつ、北浦和公園のような文化的価値が高く地域コミュニティを形成する場所がある。そこに新築のマンションばかりが建つようだと、その空気が壊れかねません。

地域の歴史や文化を反映したり、地域に開いてコミュニティ作りの一端を担えるような場所が増え、これらの新しい拠点が大企業の小売店と地元のローカル産業を繋ぐ役割を果たす事ができれば新たな時代の地域経済循環を形成することもできると思いますし、ぜひそのような方向にまちが進んでほしいなと願っています。」

節目節目で地域の未来を考え、勇気ある行動をされてきた先人の皆さんによって歴史や文化がつながれてきた北浦和駅西口エリア。

その想いや歴史、文化を引き継ぎ守っていくために、今私たちに何ができるのか。
今こそ地域に住む一人一人が考えて、行動するべきタイミングなのかもしれません。

北浦和駅西口近くにある飲食店街。

分析の仕上げにあたり「地域の歴史・文化の研究、インタビューに加えて、このエリアの国勢調査、税務統計、自治体の決算資料の内容を重ねて地域経済の実態を見える化していく」と今後の展望について話す堀さん。

どのような実態が見えてくるのか、引き続き注目していきたいです。