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「つながり」を大切に「ご縁」に身を任せて。農業を通して地域をつなげていく。 / 木曽 大原

個人事業主

「フィールドワーク」を通して人生に向き合った埼玉大学生時代

━ それは大きなきっかけですね。
そもそもなぜ桜区で新規就農しようと思ったのですか。地元の草加や農業が盛んな小川町で始める選択肢もあったのかなと思います。

木曽くん 「つながり」を大切にしていきたいと思ったんですよね。それは埼玉大学に通っていた時に学んだことがきっかけでした。

━ そうだったのですね。ぜひそのきっかけと、学生時代のお話も聞かせてほしいです。

木曽くん 高校生の頃までは両親が教育熱心だったこともあり、多くの時間を勉強に割いていたんですよね。

その時間も充実してはいましたが、もっと人と話したり知らない世界を自分の目で見たいという想いがあり、埼玉大学の教育学部コラボレーション教育専修(現:教育学専修いのちとくらしの教育領域)に進学しました。

この専修では色々な現場に直接赴き、直接学ぶ「フィールドワーク」を大切にしていました。

━ 実際に通い始めてみていかがでしたか?

木曽くん 専修の先輩には自分の意見を持っている方が多くいて、衝撃を受けたことを覚えています。
高校生までは自分の気持ちや意見を聞かれる機会があまりなかったので、最初の頃は気持ちを聞かれても何も出てこず、途方に暮れていました。

また、入学当初は漠然と将来は学校の先生になりたいと思っていましたが、さまざまな現場に行く経験を重ねる中で、もっと社会を知りたい、いろんな人に出会いたいという自分の欲がどんどん出てきましたね。

━ どんなことを学んだり、どんな人に出会いましたか?

木曽くん さまざまな場所にフィールドワークにいく中で、社会の経済発展や利便性の影で貧しい人や生き物の命が犠牲になったり自然が壊されてきたことを知ったんですよね。
また、その流れが進む中で自分たちの暮らしは自然から切り離されいつの間にか、「顔の見えない人」が作ったものを購入することが当たり前になっていることに気づきました。

もう一度自然に寄り添ったシンプルな生き方ができないかと考えていることを知り合いに相談したところ、循環を大切にしている農家さんを紹介してもらい、そのうちの1人が長野県の佐久穂町で有機農業を営んでいる、織座農園(おりざのうえん)の窪川典子(くぼかわのりこ)さんという方でした。

織座農園では、自畑で取れた野菜以外の食材、調味料、お皿など食べ物や身の回りのものはどこの誰がどのように作ったのか分かるものを使っていて。

「このお皿は友達が作ったもので、あのコップは…」と、紹介してくれる窪川さんの表情がすごく幸せそうだったんですよね。

僕達の暮らしは、さまざまなつながりの中で成り立っているということを初めて実感した経験でした。
そして、つながりを実感できることこそが、人にとって豊かな暮らしなのではないかと思ったんですよね。

━ それがつながりを大切にしたいと思った原体験だったのですね。他に学生時代の印象的な学びや経験はありましたか?

木曽くん 沖縄のガンジーと呼ばれる阿波根昌鴻さん(1901ー2002)の思想に出会ったことですかね。
卒業論文のテーマにするほどで、自分の人生と向き合うきっかけとなりました。

第二次世界戦後、沖縄県伊江島に米軍基地建設がされることになり、武力による土地の取り上げが行われたんですよね。
阿波根さんはその際に農民の方々により非暴力で行われた抵抗運動のリーダー的存在でした。

阿波根さんを始めとした農民の方々は武力制圧しようとする米兵に対して、肩より上に手をあげず、「先祖代々受け継がれ、生命を育んできたこの土地の尊さ」を言葉で諭し伝えたんですよね。

その姿勢に感銘を受け、卒業論文のテーマにしました。
論文の執筆中、自分自身はこれからどのように生きていくべきか、この社会をどのようにしていきたいのかを問われているような感覚を味わいましたね。

━ かなり貴重な経験だったのですね。

木曽くん はい、卒業後は伊江島の資料館で働きながら勉強をさせていただけないか相談したほどです。

残念ながら実現はしなかったのですが、自然に寄り添ったシンプルな生き方を実践していくために農業をしっかりと学びたいという想いから、有機農業の第一人者である金子美登さんの霜里農場に住み込みで研修をさせていただくことにつながりました。

実は働き始めるまで霜里農場が「地域とのつながり」をあそこまで大切にしているとは正直知らなかったんですよね。
結果的に自分が取り組んでいきたいことにつながって、そこで「つながり」の大切さを実感しましたね。