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プログラミングやおもちゃを通じて、子供の想像力や考える力を育みたい。 / 前原 浩

北浦和

運命を変えた「ナノブロック」の企画・販売促進

━ プログラミング学習の本質を知っている前原さんは教育現場において、とても貴重な存在ですね。前原さんはそれ以外にも、さまざまな場所でプログラミングやブロックの教室を開いたり、「ブロックはかせ」という名前でメディア出演もされていますよね。名前にかなりインパクトがあるのですが、名乗り始めるきっかけはなんだったのでしょうか。

前原さんブロックや知育玩具などの製造をしている「株式会社カワダ」に勤務していた時に、ダイヤブロックの企画・販売促進を担当していたんですよ。
販売促進で全国のおもちゃ売り場を回ってイベントを開催していた時に、ブロックはかせと名乗り始めました。
「〇〇はかせ」って結構漫画に出てくるじゃないですか(笑)子供にウケがいいと思って。

━ たしかに、漫画に出てきますし「はかせ」と付くとキャッチーで覚えやすいですね(笑)。
カワダでは他にどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

前原さん「ナノブロック」という、大人がコレクションする小さなブロックの商品化を担当しました。

ナノブロックは元々、技術者の手によってすでに開発されていたのですが、開発当時の世の中の流れを見た時に、需要がないだろうと判断され商品化には至っていなかったんですよね。

ですが、私が商品企画部に所属していた時期に、お菓子についている「小さなフィギュア」や「おもちゃ」をコレクションすることが大人の間で流行り始めたんです。
そのことがきっかけで「おもちゃは子供のもの」という世の中の意識が徐々に変わり始めていたんです。

それからレゴブロックで精巧に作られた「フェラーリ」が販売されたり、家電量販店でおもちゃ売り場以外にガンプラやフィギュアを置く「ホビー売り場」が出来たりもして。
そういった流れがあったので、所属していた商品企画部でナノブロックも流行るのではないかという話になって、商品化を模索し始めたんです。

モヤモヤさまぁ〜ずに出演した際にナノブロックで作成したさまぁ〜ずのお二人と田中アナ

━ 商品を実際に販売するまではスムーズに進んだのでしょうか?

前原さんいえ、周りの反応は微妙でしたね。
営業からは「なんでそんなもの出すの?」ってボロボロに言われました。

上司も渋い反応だったのですが、何度も話しているうちに、「そんなにやりたいなら自分達で社長に直談判しなさい」と言ってくれて。
幸い、当時の社長はダイヤブロックを愛してやまない人ということもあり、ナノブロックの販売にも理解を示してくれたんですよね。

━ 社長の後押しは大きいですね。

前原さんただ、その分かなりプレッシャーもかかりましたね(笑)。
実際に商品化をする前に、ダイヤブロックで実験販売をしたんですよ。
大人に人気のアニメである「戦艦大和」や「エヴァンゲリオン」の作成キットを販売してみたら、売り上げが好調だったので手応えを感じましたね。

━ 小さくてコレクション性が高いナノブロックであれば、より売れるのではないかと。実際に商品化してからはいかがでしたか。

前原さん売れるためにはどうしたらいいか、すごく悩んだことを覚えています。
カワダは小さいメーカーで人が多くはないので、企画した商品に対して販売からプロモーションまで担当していたんです。

直談判して講談社から出版されている『もやしもん』という漫画のおまけにつけてもらったり、ホビー誌に載せてもらったり、東急ハンズに置いてもらったり。
それらの営業活動が功を奏したのか、徐々に売れ始め、口コミで広がっていきましたね。

━ 売れ始めてから会社の反応はいかがでしたか?

前原さん実績が出始めてからは、会社全体でナノブロックを売ろうという姿勢に変わっていきましたね。
各所でイベントを開催したり、広告を出したり。

━ おお!追い風が吹き始めたんですね

前原さんそうなんですよ。
ですが、その会社の姿勢に疑問を感じて会社を辞めることになるんですよ。

━ それはなぜなのでしょうか?

前原さんナノブロックが販売されるまでは、ダイヤブロックを文化として根付かせようとする営業活動に予算と時間がかけられていたんですよね。
僕もその一環で全国の売り場を回り催事をやっていましたし、徐々にダイヤブロックが浸透している感覚がありました。
ですが、会社として売り上げに直結する活動を優先するようになって、ナノブロックの営業活動に注力し始めたんですよね。

それで、この会社で自分がやることはないなと思ってしまって。

━ 文化を根付かせるには地道な活動を継続させることが大切ですもんね。

前原さん目先の利益を取りにいってしまったんですよね。
ちょうどその時期に、ダイヤブロックを愛してやまなかった創業者の方が辞められたことも大きく影響していると思います。

━ 創業者の方が辞められたことで会社の方針が変わったのですね。辞めた後はどうされたのでしょうか。

前原さんお台場にある「レゴランドディスカバリーセンター東京」の立ち上げに関わりました。
会社の姿勢に疑問を感じていた時に、たまたま仕事で知り合った人が日本でレゴランドを初めて立ち上げるというお話をしてて。
直接子供たちと触れ合えるし、エンターテイメントにも興味があったので面白いなと。

━ 前原さんが大切にしたい部分と、興味のある分野が掛け合わさった職場だったのですね。
実際に働いてみていかがでしたか?

前原さん子供たちと直接触れ合えるという面ではすごく充実していました。
ただ、運営者や社員の方にアミューズメントパーク出身の方が多いこともあってか、
乗り物やアトラクションといった、子供たちがわかりやすく楽しいと感じるものに力を入れる傾向があったんですよね。
僕としてはレゴのように、自分のペースで自分で考えながら楽しめるおもちゃに触れる時間を作って欲しかったのですが。

あと、あくまで玩具メーカーの「レゴ」が立ち上げた場所なので、レゴが販売しているおもちゃ以外は取り扱えないことにもどかしさを感じるようになって。
だったら個人でお店をやろうかなと思い始めたんですよね。