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何歳からでも未経験でも、チャレンジできる。「直感に従う」生き方 。/ 越野 陽子

浦和

自分の【好き】を貫いた学生時代

━ そうですよね(笑)そして開店当初のお話に繋がっていくのですね。越野さんとお話ししていると、とても明るくてアグレッシブな印象を受けるのですが、その性格は幼少期からなのでしょうか?

越野さん実は、幼少期は結構暗かったんですよ(笑)。

━ それは意外ですね。生まれはどちらですか?

越野さん生まれは北海道の瀬棚町です。
中学生の時に札幌に引っ越してからは、社会人になるまではずっと札幌に住んでいたんですけど、それまでは父親の仕事の関係で、北海道内で引っ越しを繰り返していました。
そのこともあって幼少期は結構暗かったんです。

━ 学校に慣れてきたと思ったら、すぐに引っ越してしまうからですか?

越野さんそれもありますし、訛っているのを馬鹿にされるのが嫌で、あまり喋りたくなくて。
引っ越す先々の学校で素の自分が出せなくて、いつも大人しく周りの様子を観察していましたね。

━ 最後の引っ越し先、札幌ではいかがでしたか?

越野さん札幌の中学校は暴力沙汰で新聞に取り上げられるくらい荒れていて。
私は転校生だし、とにかく目立たないことを意識して生活していましたね。
クラブも、担任の先生が顧問という理由だけで、紙飛行機を作ってただ飛ばす飛行機クラブに所属していました(笑)。

━ 初めて聞くクラブです(笑)。そのような状況でも 中学生の頃に好きだったりハマっていたことはありましたか?

越野さんジャッキーチェンや松山千春が好きだったのですが、同級生はみんなアイドルが好きだったので全然言えませんでしたね。
それでも気にせず、自分の好きなことの深掘りをしていましたね。

━ 無理に周りに合わせはしなかったのですね。高校生活はいかがでしたか。

越野さん部活はバレーボール部に所属していましたが、何かを強制させられることや集団行動にしんどさを感じて2生年の時に辞めました。その後は好きだった絵を描くことに没頭していましたね。

━ なぜ絵を描くことが好きになったのでしょうか?

越野さん美術の授業で、雪景色を題材にした油絵を描く機会があったんです。
その時に、光の反射で雪が白ではなくて紫に見えたので、そのまま描いたら友達や先生に褒められて。
自分が感じたことをそのまま表現していいんだ、という自信になりましたね。

━ なかなか自分を表現できなかった学校生活で、絵を通じて表現することが出来たのですね。
高校卒業後の進路はどうされたのでしょうか?

越野さん高校時代にデザインも好きだったので、デザインの専門学校に進学しました。
そこでようやく話が合う人達と巡り会うことが出来ましたね。

━ 自分の中の好きを大切に育てたからこそですね。専門学校生活はいかがでしたか?

越野さんアルバイトばっかりしてた記憶があります。画材を買うために、とにかくお金がかかるんですよ。
バイトして、課題やってを繰り返していて、あっという間の学生生活でした。

━ 専門学校で印象的だったことはありますか?

越野さんシルクスクリーンという版画の技法に出合ったことですかね。
その技法が自分にすごく合っていて、学生生活の後半はシルクスクリーンを使った卒業制作の作品作りにものすごくエネルギーを注ぎました。

卒業制作の作品

━専門学校卒業後はどうされたのですか?

越野さん東京で就職をしました。卒業制作で作った作品を持って寝台列車で東京に向かったのを覚えています。
夢と希望に満ち溢れていましたね。その後、すぐに挫折するんですけど(笑)。