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何歳からでも未経験でも、チャレンジできる。「直感に従う」生き方 。/ 越野 陽子

浦和

40歳、未経験からの挑戦

━ 挫折というと、具体的には?

越野さん就職したデザインの会社を3ヶ月で辞めたんですよ。
自分のやりたいデザインの仕事ではない、裏方の仕事ばかりやっていたので。
3ヶ月目で、「もう裏方ばかりやりたくないです」と社長に言って辞めちゃったんです。

お客様からの差し入れの花。さまざまなものをいただくそう。

━ 想像していた仕事の内容とは違ったと。

越野さんそうですね。その後は学生時代に学んだシルクスクリーンを深ぼりたいと思って、版画家のアシスタントを2年くらいしました。
充実した時間ではあったのですが、すごく忙しくて体をおかしくしちゃったんです。
そこで自分の中の糸がプツリと切れて、札幌に帰りたくなっちゃったんですよね。

━ 大変な時期だったのですね…。札幌に帰ってからはどんな生活をされてたんですか?

越野さん自分が直感でやりたいと思った仕事を迷わずやっていました。
水槽を売ったり、印刷会社や雑貨屋で働いたり、コンパニオンをやったり。今振り返ると20代は全然地に足がついてませんでしたね。

プライベートでは海外旅行にもよく行っていて、それが今の旦那さんとの出会いのきっかけでした。

━ 旅行中に出会ったのですか?

越野さんいえ、出会ったきっかけは旅行代理店でした。
沢木耕太郎さんが書いた『深夜特急』という小説はご存じですか?
その小説に寝台列車が出てくるんですけど、それにどうしても乗りたかったんですよ。
でも手配が東京じゃないと出来なかったので、当時東京に住んでいた姉の家に何日か居候しながら、旅行代理店に通ったんです。その鉄道の手配をしてくれたのが今の旦那さんだったんですよ。

やりとりをしているうちに仲良くなって、その後付き合うことになりました。

━ 付き合い始めてからは、都内に?

越野さんはい、そのまま結婚することになって、初めは調布市に住んでいました。
ただその後、妊娠が分かりお家が手狭になったので、隣の稲城市に引っ越したんですよ。

━ 浦和の前に住まれていた稲城市に引っ越されたのは妊娠のタイミングだったのですね。
そこからネットショップの会社で働くようになるのはいつ頃なのでしょうか?

越野さん出産をした後です。ふと産休の時期に、中途半端に終わらせてしまったデザインの仕事に戻りたいと思ったんですよね。
それで、へそくりを全部つぎ込んで子供を保育園に預けながら、ウェブデザインの学校に通うことにしたんです。
学校に入ったのがちょうど40歳くらいの時だったんですけど、パソコンのキーボードが全く打てなかったので、初めはかなり苦労しましたね。
指一本で打つ感じ。ブラインドタッチなんて、もってのほかでした。

━ それは授業についていくのにも一苦労ですね。

越野さん内容は理解できるのに、手がついていかないという(笑)。
その後、なんとか学校を卒業出来そうとなったタイミングで就職の話になったんですよね。
でも40代で業界未経験、子供がいるので時間的な制約があるという条件だとなかなか難しくて…。

どうしようかなと頭を抱えていたら、インターネットショップの店長の求人があったんです。
オフラインですけど雑貨店で店長経験があって、接客には自信があったのでもしかしたらと思って。
ダメ元で面接を受けにいったら無事採用していただいたんです。

━ それは嬉しいですね!お仕事を初めてみていかがでしたか。

越野さん仕事以前にスケジュールがハードでかなり苦労しました。私にとっての修行時代です(笑)。
仕事と家事をこなすために平日は朝の4時30分に起きて、日付が変わる24時前に就寝する生活で。旦那や子供にはすごく協力してもらいましたね。

仕事自体も慣れないことばかりで苦労したのですが、やっていくとそれなりに自分のフォーマットが作られてきて、出来るようになっていったんですよね。

その時に、何歳からでも未経験でも、意志があれば出来るんだなと思いましたね。
また、20代の時のデザインの勉強や雑貨店の店長経験が活かされることになって、人生は繋がっているんだなぁと感じました。