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東北で感じた「人と人のつながり」の 大切さを、浦和で伝えていきたい。/ 大熊 あゆ美

個人事業主

人生の転機となった東日本大震災

━まちいとの活動の原点となる考え方は、東日本大震災の復興支援員として働いた経験からきているのですね。復興支援員として働き始めた経緯も気になります…!

大熊さん復興支援員として働き始めたのは、東日本大震災が起きてから4年後というタイミングだったんですよね。

震災当時は大学4年生でした。
当時は震災のニュースを見て心が痛みましたが、すごく遠くの地域で起きた話という感覚で。
毎年、黙祷をしていましたが、ボランティアに行ったり、支援物資を送るといったような具体的な行動をしようとまでは思いませんでした。

その後、社会人になって東京でOLをしていたのですが、日々のニュースで継続的に震災の情報を見聞きすることによって、徐々に色々な感情が込み上げてきたんですよね。

━ ニュースからさまざまな情報を知る中で心境に変化があったと。

大熊さんはい。その込み上げてきた感情が溢れ出したのが、ちょうど社会人3年目、2014年の3月11日で。

震災が起きた午後2時46分は移動中だったので電車で黙祷をしていたのですが、周りの人はいつも通り携帯をいじっていたんですよね。
普通に考えたら電車の中で黙祷する方が珍しいんですけど。

普段と変わらない日常の時間が流れていることに対して、すごく違和感があって。
だからといって、今まで具体的な行動をしていない自分が急に不甲斐なく感じたんです。

それで、まずは被災地に行ってみようと思い、その場でボランティアの募集を探し始めたんです。

━ いてもたってもいられなくなったのですね。

大熊さんその時は衝動に駆られていましたね。
その後、実際に東北にボランティアで行かせてもらったのですが、テレビで見ていた被災地の惨状をいざ目の前にすると、ショックが大きくて涙が止まらなくなりました。

一緒に行ったボランティアスタッフや、地域の方に震災直後のお話を聞かせてもらう機会があったのですが、聞けば聞くほどに、今まで何も行動をしていなかった自分がすごく恥ずかしくなってきたんですよね。

━ 体感することによって感じたことがたくさんあったと。

大熊さんそうなんですよ。
それで、ボランティアとは違う形でもっと継続的に関わりたいと思うようになって、
浦和に戻ってきてから、働いていた保険会社を辞め、復興支援員の事業を行っている一般社団法人に転職しました。

━ すごい行動力ですね!一般社団法人ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

大熊さん初めは、会社の事務所がある東京から、現地で復興の支援をする復興支援員の方のサポート業務を行っていました。
ですが、復興支援員が減ってしまったことと、復興支援員として現地に行きたいという気持ちが募ってきたタイミングが重なって、福島のいわきに入ってコミュニティ支援事業をさせてもらうことになったんです。

━ コミュニティ支援事業とは、どのようなお仕事ですか?

大熊さん「帰還困難区域」という全国に避難することを余儀なくされた地域に住んでいた方が、避難先でつながりもう一度コミュニティを作って、お互いを支え合えるような仕組み作りをする仕事です。

━ 避難先で、同じ町に住んでいた人同士でつながれることはとても心強いですね…!

大熊さんコミュニティが機能し始めたら、最終的に町民の方だけで自走できるようになるまでを支援していましたね。

コミュニティを介して元気がなかった人が元気になったりして、「人と人とのつながり」の大切さを実感したのはまさにこの時でした。

また、福島の方々と接する中で元々のつながりがすごく強いということを実感したんですよね。
普段から近所の人にお裾分けをしたり、地域全体で子供のお世話をしたり。
そういったことが当たり前に行われたそうなんです。

━ コミュニティがもたらす効果、福島の方々の元々のつながりの強さを肌で感じたのですね。
近所の人にお裾分けをしたり、地域全体で子供の世話をするといった光景は、昔に比べて都心ではなかなか見られなくなりましたよね。

大熊さんそうですよね。
復興支援員として、町民の方々と接する中で、都心に住む人同士の人間関係が希薄になっていることを感じました。ご近所さんの名前すら知らないことが、今や当たり前になっているじゃないですか。

街で顔見知りの人と会い、会話を交わす機会も多い。

━ そうですね。オンラインの繋がりは増えましたが、オフラインの繋がりは減りましたよね…。

大熊さんなので、復興支援員としての活動が一区切りした時に、次は地元の浦和に戻って
「人と人 人とお店の会話を増やす」仕事がしたいと思ったんですね。
ご近所さんとつながりがなくても、街に顔見知りの人がいたり、お店があったら、いざという時に頼りにできるじゃないですか。

━ たしかに、そうですね。それで「人と人 人と街をつなぎ 人も街も元気にする」という文言を転職サイトに掲載していたぱどに転職を決めたと。

大熊さんはい。東日本大地震は決して他人事ではないと思うんですよね。数十年以内に首都圏直下地震が起きるとも言われていますし。もし起こってしまった時に助け合えるような、「人と人のつながり」をまちいとの活動を通して作っていきたいです。