藤田さんの絵はなんだか惹かれるのだ。
可愛い、ほんわか、ゆるい、肩肘張っていない…。
そんなありきたりな言葉でしか表現できないことに、もどかしさを感じる。
そういった言葉では形容し難い何かがある。そんな気がするのだ。
「影響を受けた人ですか?音楽が好きなので、昔からレコードのジャケットはよく見てましたね。描き始めた頃は影響を受けてしまうのではないかと思って、人の絵をあんまり見ないようにしていたんです。あ、でも最近は見ても真似できるほどの技術がないなと思って、見るようになりました(笑)」
「この絵は今まで描いた中でお気に入りの一つです。一度描いた顔の輪郭がしっくりこなかったのですが、その上に気にせず別の輪郭を描きました。上の黒い模様はたまたま垂れたインクなんですよね」
「上手く書こうとは思っていなくて。なるべく自由に楽しみながら、今まで描いたことがない絵が描けたら嬉しいです」
藤田さんが「ふじみ屋」の屋号で、画家・イラストレーターとしてのキャリアを歩み始めたのは11年前、33歳の時。
藤田さん自身や絵の雰囲気から勝手に、順調にキャリアを積み重ねてきたと想像していたから、とても意外だった。
小さい頃から絵を描くことが好きだったが、小学校に入学すると徐々に描かなくなった。
「それまでは自由に好きなものを描いていたのですが、美術の授業では描くものや描き方が指定されていたんですよね。授業中に『仕上げが雑だ』と駄目だしをされるようになり、絵を描くこと自体が楽しくないなと感じるようになりました」
学校に入る前は運動も好きだったが、体育の授業ではやることを決められていたり、周りより運動が得意ではないと感じたことがきっかけで、苦手意識を持つように。
あの子は絵が得意。あの子は運動が得意。あの子はー。
学校では他の人と比較して「得意」なことを基準に、それぞれのポジションが決まっていくような感覚があった。
藤田さんは特段好きなわけではなかったが、気づくと勉強が「得意」というポジションが与えられていた。
「今思えば、周りを気にせず絵が好きだったら絵を描けばよかったんですけど、その時は、周りや大人の評価や価値基準を気にしていた気がします」
高校は公立の進学校へ。そこで得意であった勉強に対する自信を失うことになる。
「高校って自分と同じくらいの学力の子が集まるじゃないですか。そうすると、今までの勉強が得意というポジションではいられなくなったんですよね。自分には何もないと思うようになって、学校に行くこと自体がすごくしんどかったですね。でもレールから外れるのは怖くて、辞めることはできませんでした」
存在意義、ポジション、レール…。
いつしか藤田さんの中で、自分ではなく「他者がどう思うか」が判断基準の中心となっていたが、そこに従わずに生きる術がわからなかった。
その後、大学に進学。卒業後には就職したものの退職。少し休んだ後に再度就職するも、再び退職。
「1度目の退職時は、なんとか持ち直せましたが、2度目の時はもう駄目だと思って、どうやって生きていけばいいのか分からなくなってしまい、人生に絶望しました」
退職時の精神的に苦しい時期を支えてくれたのは、北浦和にある有機食材を扱う八百屋『野良』と、その向かいにあった有機食材レストラン『オニオンジャック』だった。
「1度目の退職後は『オニオンジャック』で、2度目の退職後は『野良』でアルバイトをさせてもらいました。そこでは学歴や職歴といったフィルターを通さず、ただ1人の人間として接してくれたんですよね。その2つの場所がなかったら今の自分はないと思います。 家でも会社でもない自分の居場所を、北浦和の大人達が与えてくれたと僕は思っているんですよね」
2度目の退職後、自分でできる仕事を探していた藤田さんは、音楽が好きだったこともありCDの転売をはじめた。
この出来事が再び絵を描き始めるきっかけとなる。
「購入してもらったCDを送付するときに、せっかくなのでお礼のメッセージを書いたカードを、一緒に付けようと思ったんですよね」
そこで、絵が得意な大学時代の友人にイラストの作成をお願いすることにした。
「書いてほしい絵のイメージを伝えるために、下絵を描く必要があったんですよね。下絵だから上手くなくて良いと思いながら書いたら、その絵を自分でとても気に入ったんです」
北浦和で仲良くしている周りの友人、知人に見せると面白がってもらえ、周りの勧めもありインスタグラムに絵を投稿するように。
その投稿を見た人からイラストの依頼が舞い込むこともあり、絵を描くことを本格的に仕事にしようと考え始めた。
「気付くと他者の評価や価値基準ではなく、自分が気に入るか、信頼できる周りの人に面白がってもらえるかを判断基準にするようになっていたように思います」
絵を描いてインスタグラムに投稿することに飽きたらず、以前から興味があったTシャツなどのグッズを作り販売するように。
周りの勧めもありグッズを直接販売出来る、マルシェへの出店機会も増えていった。
「出店の経験を積み重ねていると、グッズを販売しているだけでは、なかなか足を止めてもらえないと感じました。そこで始めたのが、『3分間スピード似顔絵』だったんです」
絵の雰囲気と3分という時間の短さが好評を博し、今では藤田さんの代名詞となった。
「今後どうしていきたいですか?」と藤田さんに尋ねる。
画家として、という意味を込めていたので、その最初の回答に少々驚かされた。
「 僕は精神的に苦しい時に、この街の大人に助けられて、新たなチャレンジをしようとした時に背中を押してもらったんですよね。年齢を重ねてきて、だんだん自分が受けた恩をこの街の人、とくに下の世代の人たちに還元したいなと思うようになってきました」
2023年2月11日にマルシェ「北浦和のツボ」が開催され、藤田さんはその運営メンバーとして参加。さまざまな世代と協力して開催されたイベントは、盛況のうちに終了した。
北浦和に脈脈と受け継がれてきた助け合いの精神が、藤田さんをはじめ、着実に次の世代へと受け継がれはじめている。
「個人としてですか? 海外や日本全国のさまざまな場所に行ったり、絵を通じて色々な人とコミュニケーションを取りたいですね。でも、もしそれらが叶わなかったとしても絵を死ぬまで描き続けられれば、それでいいですかね」と、遠慮気味に笑った。
楽しんで自由に描くことが、どれだけ尊いかを藤田さんは知っている。
INFO
- 事業主名:ふじみ屋
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