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自分の靴を自分でつくる。 / ノグチ靴工房

浦和

靴下を中心としたセレクトショップ「さきっちょ」を経営する越野さんが面白いお店があるよと、ノグチ靴工房を紹介してくれた。

靴工房と聞いて初めに浮かんだのはオーダーメイドの靴。
足の採寸をして、自分の足に合った世界で唯一無二の靴をつくることが出来る一方で高単価。
興味はあるけども、なかなか手を出せないものだと思っていた。

HPを覗いてみるとそこには「靴教室」の文字が。
靴を自分でつくるコースや、靴つくりを生業にするためのコースが用意されている。
オーダーメイドの靴もつくれるが、どうやらメインは靴教室らしい。

「自分の靴を自分でつくる」

そういう発想がなかったので驚いた。
ものつくりの体験は好きだが、手先のぶきっちょさもあって、頭で想像したものがつくれることは稀。

体験は楽しいけど、実際に愛用するものはプロがつくったもの。
それが当たり前だと思っていた。毎日のように履く靴なら尚更だ。

そんなことを考えながら、お店の扉を開くと店主の野口さんが出迎えてくれた。

「本当に自分で靴をつくれるんですか?」と、
きっと耳にたこが出来るほどされたであろう質問をストレートにぶつける。

「靴つくりは誰でも出来るんですよ。 私が通った工房の先生がお客様に『おにぎりを握ったことはありますよね?おにぎりが握れれば靴はつくれますよ。』とおっしゃっていたんですね。実際に私の教室の生徒さんで色々なものつくり教室に通ったけど、今まで一度も完成したことがないという方も、ちゃんとつくれましたからね」

“おにぎりが握れれば靴はつくれる”

なんだか勇気が湧いてくる言葉だ。

「それに、基本的な靴の製法や技術は何百年と変わっていないんです。一方で、素材や機械が進歩しているので、誰でも容易につくることができるようになったんですよ。例えば、靴底を接着する時に昔は基本的に手縫いでしたが、近年は剥がれにくく、靴の柔軟性を損なわない接着剤が出来たので、手縫いに比べて容易に靴底の接着が出来るようになったんです」

なるほど、素材や機械の進歩によって靴をつくるハードルが下がったという訳か。
なんだか、手先がぶきっちょな自分でも出来そうな気がしてきた。
さらに野口さんは続けた。

「自分で試行錯誤して自分のためにつくった靴は、誰かが作った靴よりも自分らしい、唯一無二のものになりますよ」

野口さんが6年程愛用している靴

楽しそうに靴や教室について語る野口さんだが、「昔から靴が好き」というわけでもないらしい。

「昔から特段、靴に興味があったわけではないんです。社会人の時には一足の靴が履き潰れるまで、履き続けていましたし」

靴つくりとの出会いは27歳の時だった。
役場の職員として働いていたが、なかなか仕事にモチベーションが持てない日々。

「思い返すと、このときは周りの希望に沿って役場で働いていたところがありました。そこでの仕事に価値を見出して頑張れば良かったのですが、当時は、ここではないところに自分の居場所があるのではないかと思ってしまって」

転職先を探すために見ていた、情報誌のある言葉が心に突き刺さった。

「その後、通うことになる靴工房の先生のインタビューが掲載されていて、『靴職人なんて誰でもなれるんだよ』という一言が書いてあったんですよね。それを見て、なぜか僕の天職はこれだと思ったんです」

その場で靴学校の説明会を申し込み、翌日には職場に退職願を提出。
1ヶ月後には靴学校に通い始めていた。

学校に通い始めてから「靴職人なんて誰でもなれるんだよ」という言葉の真意を理解することになる。

「学校の先生が、『昔は各家庭で当たり前のように草鞋を作っていて、履き物は生活用具の一つという位置付けだった。毎日ご飯を つくるように、人によっては服を縫うように、各家庭で靴を作って、壊れたら自分で治す文化を広めたい』と話していたのが印象に残っています。自分達のことを靴職人ではなく、靴のつくり手と呼んでいましたね」

父が大工で幼少期、身の回りのものを自分達の手でつくることが当たり前だった野口さんにとって、自然と入り込んでくる考え方だった。

1年間、教室に通って卒業。
その後もしばらくは工房を間借りして、注文を受けた靴をつくる生活を続けていたが、
学校に通い始めてから、3年目が終わるタイミングを区切りとして自分の工房を持つことを決意した。

とはいえ物件探しは難航。
靴工房は大きな音がしたり、皮の匂いがするというイメージがあり、良い物件を見つけても断られることが多かった。

「そんな状況の中で靴学校時代の友人のツテもあって、神奈川の茅ヶ崎にある物件を紹介してもらったんですよね。それまで茅ヶ崎に行ったことは一度もなかったのですが、物件も悪くなかったし内覧日は天気も良くて気持ち良かったこともあって、その場で借りることを決めました」

直感で物件を借りることを即決。結果的にこの決断が功を奏した。
「茅ヶ崎エリアでは自分で事業を興している人も多くて、思っていたよりも順調に仲間やお客さんが増えていったんです」
工房を構えて3年目のタイミングで、「生活に根差したものつくりをするという想い」が同じだった家具屋さんと共に、同じ想いを持った人が集まって活動できるようなシェアスペースを作った。

茅ヶ崎での生活は順調そのものだったが、工房を開いて15年目というタイミングで工房を教室の卒業生に任せ、生まれ育った埼玉の宮代町へと引っ越しを決めた。

「父が亡くなって実家に母が1人になってしまったことや、子供を自分が育った場所で育てたかったこと、さまざまなことが重なって、そのタイミングで地元に戻ることを決めたんです。ただ、いきなり宮代町で靴工房をやるのは経営的に難しいなと感じたので、学生時代や靴学校時代に頻繁に通っていた『ユザワヤ』があり、親しみがあった浦和でお店を開くことにしました」

順調そのものだった茅ヶ崎での生活を手放すのは勇気がいったが、自分の感覚に従うことを優先した。

「役場に就職した時は周りの声に流されてしまったんですよね。その時は人生の主導権が自分にないような感覚でした。でもその経験が合ったから自分の感覚を信じる大切さに気付けたなと思いますね。浦和で店舗を構えて今年で9年目になります」

靴工房に通うこと
茅ヶ崎で店舗を持つこと
宮代町に戻ること

頭で考え抜いて導いた結論ではなく、直感を信じてきた。

「通った工房の先生が『靴をつくるときは頭で考えるのではなくて手で考えろ』とよくおっしゃっていました。ものつくりも直感が大事なんです」

実は今 、宮代町にも拠点を構えている。
将来的には浦和の工房も、茅ヶ崎の工房のように卒業生に任せて、宮代町での活動をメインにすることを検討しているそうだ。

「妻がパン屋をやっていて、母が農業をやっているんです。
午前中に靴を作って、お昼には畑で作った野菜を練り込んだパンを焼いて食べる。そして午後にまた靴をつくる。そんなことをするのもいいなと想像しています。
昔から自分で使うものや食べるものを自分でつくっていた感覚が、体に染み付いているのかもしれません。
自分の活動を通して、その豊かさを多くの人に広めたいなと思っています。
その一つとして、浦和で『自分の靴を自分でつくる文化』を広めていきたいですね」

未来を見据えながら今日も、浦和で靴つくりの豊かさを伝えている。

SHOP INFO

  • 店舗名:ノグチ靴工房
  • 所在地:埼玉県さいたま市浦和区岸町4丁目20−15 さきっちょ2F
  • お問合せ:info@nogutsu.com もしくは 048ー822ー6771
  • 営業時間、定休日:要確認(HPから。)
  • HP:https://nogutsu.com
  • SNS:@noguchi_shoe